平成15年11月30日、我々にとっては、歴史的瞬間が訪れた。
いや、むしろ、これから続く長い長い伝説の序曲かもしれない

 
この日開催された秋田杯は、宮崎地区(他の市町村からもオープンで参加できる)のクラブチームナンバーワンを決める大会である。クラブ結成当初は、このタイトルをとることを何より目標にしていたほどの大会である。その余緒ある大会において、ついに3連覇を成し遂げた。
 この喜びはただものではない。約2年半前、部を結成し初めて望んだ大会はこの秋田杯であった。そのときには、蛯原・松田・明利・瀬戸長・吉満・坂本が出場した。結果、予選で1勝3敗という無惨な敗北であった。このときは、瀬戸長義邦はパジャマで試合に出場する有り様であった。また、吉満も金色のネックレスを身につけており、会長自ら、「試合に出るときは外せ」と言った覚えがある。吉満との初対面はこの日であった。まず、まず、前衛か後衛かを聞くと、「どちらもできる」と自信満々に答えてくれたので頼もしく思っていたが、結局どちらも中途半端であったため、我が部でのポジションは後衛に決めたことを覚えている。
 少し話が回り道をしたが、つまり、実力・マナーともに他のクラブの人からの評価の低いもので「若いくせに調子に乗ってチームを作るからそんなことになるんだよ。」「このまま行くと即解散じゃないか。」といったセリフが聞こえてきそうだった。
 あの歴史的・屈辱的敗北から2年半、チームは宮崎市3連覇をするチームへと変貌を遂げた。3連覇とは言え、1度目は(初勝利)は助っ人として安川真人選手を使っての勝利だった。2度目の優勝時にはライバルチームがやや手薄であった。しかし、3度目の優勝は部員のみで勝ち取り、しかも広瀬クラブをA・Bともに下して優勝であった。
 私がもっと嬉しかったことがある。それは、Bチームのベスト4入りである。
服部慎也さんの動きは感覚を取り戻しつつあり、阿萬のストストロークはゲームで生きてくるようになった。S.P.C.はまだまだこれからのチームである。連覇記録を伸ばしつつ、A対Bの決勝での対決、県クラブ職域対抗団体戦の優勝など、残された命題は山ほどある。さあ長い長い伝説の序曲は始まった・・・



会長コラム


平成16年11月  @秋田杯を終えて

















































SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送